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1.バプテストの歴史
キリスト教は、歴史的にローマカトリックに対して、マルティン・ルターなどの宗教改革を経て、プロテスタント教会ができ、今日にいたっています。私たちバプテストは、そのプロテスタントの中で、イギリス(十七世紀)で起こった一派であり、清教徒革命を経て、米国に渡りました。その米国から多くの宣教師が世界中に派遣され、伝道がなされていったのです。日本では、明治初期から伝道がなされ、ここ沖縄には、1891(明治24)年に伝道が始められています。
2.バプテストの意味
洗礼をバプテスマと言いますが、バプテスト教会の主義主張のうちに「水によるバプテスマにこだわる」ことがあげられ、これがバプテストの語源とされています。
3.バプテストの主義主張
簡単に言うと次の点です。
- ・聖書を中心とした学びをします。
- ・幼児洗礼を認めず、自らの信仰を告白してから信徒となります。
- ・聖職者の権威を認めず、牧師も一人の信徒です。
- ・全身を水に沈める浸礼にこだわり、バプテスマで生まれ変わったことを記念とします。
4.バプテストの群れ
私たちの所属する沖縄バプテスト連盟は、県内に39箇所の教会・伝道所があります。また、同じ群れであります日本バプテスト連盟、日本バプテスト同盟があり、全国に400箇所以上の教会・伝道所があります。さらに関連大学として、西南学院大学・西南女学院大学(日本バプテスト連盟系)、関東学院大学・尚絅女学院大学(日本バプテスト同盟系)などがあります。
2014年7月6日「平和学習~辺野古・高江の旅」
辺野古、高江に行ってきました。命を奪う軍事基地建設に”NO”の思いを新たにさせられて、連帯の思い、平和の祈りを捧げてきました。「剣を鋤に、槍を鎌に。もはや戦いを学ばない。」
(イザヤ書2:4)
辺野古テント村にて
高江の座り込みの方々から説明を受ける
カフェ山瓶(高江)にて
2014年5月11日 「母の日・お好み焼き&焼きそば会」
男性人が奮闘して、お母さん&女性の皆さまへ日頃の感謝を込めて作ります!
イースター野外礼拝
2014年4月20日イースター野外礼拝 (新)中城公園にて
平和学習
毎年6月の沖縄慰霊の日を覚えて、平和の学びを行います。資料館や戦跡などを巡ります。
この写真は旧南風原陸軍病院資料館見学です。
女性会
バザーや愛さん会での料理は天下一品です。いつも教会を支えてくれる縁の下の力持ち!
聖歌隊
教会の礼拝や賛美音楽礼拝、イースター(復活祭)、クリスマス礼拝などにおいて、讃美歌を中心に歌っています。
聖書の学び・祈祷会
毎週水曜日の午後8時より、聖書の学び、祈りの時をもっています。 また、月に一度、第二水曜日の午前10時半にも行われています。
元旦礼拝
毎年、年の初めの元旦に礼拝をお捧げします。この一年も神の恵みの中にあることを覚え感謝します。
ピクニック「みかん狩り」
毎年10月頃に山原に出かけ、みかん狩りなどを楽しみます
「オスプレイ配備に反対する県民大会」参加(2012.9.9)
教会の意思表示として参加しました。
わたしたちの教会は、沖縄島中部の宜野湾市にあります。宜野湾市はその中央をアメリカ軍普天間基地が占め、基地を取り巻くように、市街地がドーナツ状に広がっています。「普天間」といえば、いま日米両政府の軍事的懸案である飛行場の名護市移設をめぐる問題の当該地です。わたしたちの教会は、その普天間基地から3百メートルと離れていない場所にあります。
教会の沿革
普天間バプテスト教会は、1955年に発足しました。当初の会員はごくわずかになり、現在の会員の多くは、名護良健牧師(1962年就任、現在は中城城東教会牧師)以来の信徒です。名護牧師のモットーは「歴史を担う教会」でした。70・80年代に活躍した信徒は、歴史と社会という問題に重ねて、その信仰を養いました。
折りしも沖縄バプテスト連盟(沖縄のバプテスト諸教会が所属する団体)全体に大きな波紋を投げかけた「ランドール宣教師解任事件」(1979年)は、信徒にとって、その信仰の試金石となりました。一時は連盟からの「除名」という瀬戸際にまで立たされましたが、その最悪の事態は回避され、その後ランドール牧師は沖縄国際大学に迎えられ、またわたしたちの教会の協力牧師として奉仕されました。
1997年、名護良健牧師に代わって藤田久雄牧師が就任。教会のために尽力された後2000年に八重山教会に赴任され、代わってランドール牧師が主任牧師に就任。 そして現在、2007年4月に副牧師となった神谷武宏牧師が、10月にランドール牧師に代わって主任牧師に就任しました。
平和への取り組み
アメリカ軍普天間基地に隣接するわたしたちの教会は、平和問題への取り組みを、その宣教活動のひとつに位置づけています。80年代に定着した「平和学習」は、現在もつづいています。沖縄の平和月間は8月だけではなく、沖縄戦が終結した6月から始まります。6月は沖縄の人々が平和への決意を新たにする時です。わたしたちの教会も、この時期、社会の動きに連動して、信仰者としての平和のあり方を問い直します。牧師はこの時期に平和のメッセージを説きます。平和問題が現況と重ね合わせて信徒に問題提起されるのです。それに教会学校も合流して、平和学習が実施されます。
平和学習では戦跡めぐりや、ゆかりの施設に実際に出かけました。なかでも「ガマ」と呼ばれる避難壕となった洞窟での体験は強烈な印象を残しています。施設では南部の糸満にある「沖縄平和祈念資料館」やひめゆり学徒隊終焉の地にある「ひめゆり平和資料館」、ほかには伊江島の阿波根昌鴻さんゆかりの土地に建つ「わびあいの里」などを訪ねました。
教会の歩み
- 2007年 10月
- 神谷副牧師、主任牧師就任および按手礼式。
- 2007年 8月
- キング研究会の夏季研修会(長野軽井沢)でランドール牧師講演。
- 2007年 6月
- 平和学習、対馬丸祈念館見学。
- 2007年 2月
- 桃原静子姉召天。
- 2007年 4月
- 神谷神学生、副牧師就任。
- 2006年 11月
- 伊波トヨ姉召天。
- 2006年 5月
- 会堂献堂式。
- 2006年 2月
- 新会堂(附属保育園)完成。
- 2005年 6月
- 平和祈念講演「沖縄戦の悲劇を考える」。講演者城間祥介牧師。
- 2004年 11月
- ランドール牧師、キリスト教史学会全国大会で阿波根昌鴻氏について発表。
- 2004年 7月
- 普天間教会のホームページ開設。
- 2004年 6月
- 平和学習会、平和祈念資料館見学。
- 2004年 5月
- 普天間基地包囲に参加。
- 2003年 6月
- 当教会にて「平和講演会」開催。講演者ランドール牧師、多数参加をみる。
- 2003年 2月
- ランドール牧師著『非暴力思想の研究』をテキストに、「ガンディー・キング学習会」開く。(11月まで19回行う。)
- 2002年 12月
- 県民クリスマスに教会聖歌隊参加。
- 2002年 7月
- ランドール牧師、琉大附属病院に入院、同月退院。
- 2001年 12月
- 県民クリスマスに教会聖歌隊参加。
- 2001年 6月
- 平和学習会、平和祈念公園で戦争体験者(教会員、当時少年兵)の話を聞く。
- 2000年 7月
- 平和学習会、新沖縄平和祈念資料館見学。
- 2000年 4月
- ランドール牧師、教会主任牧師に就任。
- 2000年 3月
- 藤田久雄牧師辞任。
- 1999年 6月
- 平和学習会、佐喜真美術館にて「沖縄戦の図」など見学。
- 1999年 2月
- 那覇バプテスト教会において、藤田牧師、小浜栄子姉と挙式。
- 1998年 11月
- 「98沖縄宣教伝道会議」で藤田牧師と共に聖歌隊奉仕。
- 1998年 6月
- 平和学習会、南部糸数壕見学。
- 1997年 6月
- 平和学習会、読谷村「象のオリ」見学。
- 1997年 4月
- 藤田久雄牧師就任。就任期間中、教会運営の整備に尽力、特に保育園園長として他園との連絡組織づくりに奔走された。
- 1997年 4月
- 普天間教会、中城城東教会共同納骨堂落成記念礼拝。
- 1997年 3月
- 名護良健牧師、教会名誉牧師となる。
- 1996年 11月
- 普天間バプテスト教会宣教40周年迎える。
- 1996年 6月
- 平和学習会、「平和の礎」訪ねる。
- 1995年 6月
- 平和学習会、読谷村チビチリガマ訪問。知花昌一氏の案内。
- 1994年 6月
- 平和学習会、平和祈念資料館見学、南部戦跡訪ねる。
- 1993年 6月
- 平和学習会、南風原文化センター見学。
- 1992年 6月
- 平和学習会、韓国人慰霊碑・魂魄の塔を訪ねる。
- 1991年 6月
- 平和学習会、ひめゆり資料館見学。
- 1990年 1月
- 反靖国連絡会主催「大嘗祭どうなる?」集会、当教会で行われる。
- 1987年 6月
- 「人間の輪・嘉手納基地包囲」に参加。そのあと読谷チビチリガマ見学。
- 1985年 6月
- 慰霊の日に因み平和学習、南風原の戦跡を訪ねる。以後、教会学校との合同による平和学習が教会年行事として定着。
- 1984年 1月
- 末吉重昭兄(現宜野湾教会牧師)ら、教会から独立し「新生会」立ち上げる。これに伴い「コイノニア・ハウス」の働きが終わる。
- 1983年 4月
- 第30回連盟年次総会で、ランドール師の宣教師館退去要請を決議、またこの問題に伴い、同師の協力牧師留任を許す普天間教会の責任が問われ、除名が討議される。
- 1981年 6月
- 名護牧師、泊教会(現中城城東教会)転任に伴い、普天間教会の代務牧師となる。
- 1979年 6月
- ランドール宣教師、アメリカン・ボードによって「米軍との不一致」を理由に、宣教師職を解任される。この時期「ランドール宣教師解任問題」が表面化。
- 1978年 10月
- 普天間教会開拓伝道所として、分園「コイノニア・ハウス」発足。
- 1977年 5月
- ランドール宣教師、普天間教会協力牧師に就任。
- 1977年 3月
- 分園(現宜野湾教会)の園舎起工式。
- 1973年 3月
- 名護牧師、普天間教会牧師として再就任。
- 1972年 3月
- 名護牧師の国内留学に伴う辞任により、ボーリンジャー宣教師が代務牧師となる。
- 1969年 8月
- 教会の二階が増築。10月、新会堂の献堂式を行う。
- 1964年 4月
- 教会附属緑ヶ丘保育園発足。
- 1963年 1月
- 国吉守牧師の国内留学に伴う辞任により、名護良健師が牧師に就任。
- 1962年 5月
- 名護良健師、副牧師に就任。
- 1961年 3月~5月
- 会堂建設。7月、村長ら迎え献堂式を行う。
- 1959年 9月
- 国吉守師、専任牧師となる。
- 1958年 7月
- 普天間教会となる。
- 1956年 7月
- 山路牧師の離任に伴い、ボーリンジャー宣教師、国吉守牧師が牧会を担当。
- 1956年 6月
- 普天間バプテスト伝道所(山路一牧師)発足。
- 1955年 7月
- 照屋寛範牧師、当時普天間から那覇教会に通う新里信姉の篤い信仰心に打たれ、普天間教会設立を構想。
住所は〒901-2203 沖縄県宜野湾市野嵩2-23-1です。